第53回 除草剤グリホサートが「世界中で禁止される」は、まちがい
こんにちは、小島正美です。今回は前回に続き、映画「食の安全を守る人々」を紹介したヤフー記事(筆者は作家で歯科医師の一青妙さん)を考えてみます。
映画の冒頭は、2019年5月に東京で行われた「反モンサント・バイエル世界同時アクション」に集まった人たちの抗議デモが映し出されます。その抗議のプラカードには「NO モンサント」「ラウンドアップは販売中止!」の文言が見えます。
そういう光景を紹介したあと、一青妙さんは「ラウンドアップはアメリカの企業、モンサント(現・バイエル)が開発した除草剤で、その主成分のグリホサートは体内に蓄積され、発がん性などが疑われるようになった」と書いています。
予備知識のない人が素直に読めば、「グリホサートは体内に蓄積するんだ。怖い」と思ってしまいますね。
しかし、グリホサートが体内に蓄積するという科学的なデータはありません。グリホサートのリスクを詳細に評価した内閣府食品安全委員会の報告によると、口から摂取した場合の吸収率は2~3割で48時間以内に大部分が排泄され、蓄積性はないとされています。常識的に考えて、体内で分解・排泄されず、どんどん蓄積していく危険な農薬が認可されるはずがありません。
「グループ2A」は危ないという意味ではない
また、「多くの国が、グリホサートの禁止や規制を決めるなか、モンサントは有害性を認めないだけでなく、ラウンドアップに耐性をもつ遺伝子組み換え作物の種まで作り出し、セットで世界中に販売し続けている」という記述も出てきます。これも誤解を招く言い方です。
グリホサートの発がん性については、世界保健機関(WHO)の傘下にある国際がん研究機関(IARC)が2015年に発がん性分類で「グループ2A」(おそらく発がん性あり)にクラス分けしたことは事実です。ところが、日本の食品安全委員会、欧州食品安全機関(EFSA)、米国の環境保護局(EPA)など世界中の公的機関はリスク評価の結果、すべて「発がん性なし」との見解を出しています。
別にモンサント社が世界中の政府や公的機関を敵に回して、有害性を認めてこなかったというわけではありません。「発がん性なし」は、モンサント社の意見ではなく、リスク評価に携わった世界中の科学者の大半の意見です。
IARCの「グループ2A」の意味を知っておくことも大事です。グループ2Aは、実際にヒトでがんを引き起こすリスクが高いというリスク評価ではありません。「グループ2A」には、高温で揚げるポテトフライなどに含まれるアクリルアミド、通常の豚肉や牛肉のようなレッドミート(鶏肉はホワイトミートで区別される)も分類されています。食卓やレストランで牛のステーキやかつ丼を食べるときに「この牛肉や豚肉は、グリホサートと同じくグループ2Aなのか」と想像を働かせながら食べる人はまずいないでしょう。
ついでに言えば、グループ分類は「グループ1」(発がん性あり)、「グループ2A」、「グループ2B」(発がん性の可能性あり)、「グループ3」(がんとは分類できない)、「グループ4」(発がん性なし)に分けられています。みんなが大好きなお酒は「グループ1」です。ちなみに熱い湯や交替勤務は「グループ2A」です。
IARCのグループ分類は、専門用語ではハザード評価といわれています。ハザードは「危害を生む潜在的な要因」とか「危ないものそのもの」と訳されていますが、どうもすんなりと理解できる適訳はないようです。たとえば、ライオンは人を殺すハザードをもっていますが、動物園にいるライオンは管理されているのでリスクはゼロだという説明はよく聞きます。
単純に言えば、グループ2Aに分類された化学物質や要因でも、気をつけて使えば、リスクはないということです。仮にグループ2Aだから、がんが起きるという意味になれば、グループ2Aのアクリルアミドやレッドミート(通常の豚肉や牛肉など)を提供している事業者は、批判の嵐に遭うのでしょうか。
同じグループ2Aながら、なぜ、グリホサートだけが米国で損害賠償訴訟の対象になったのか不思議ですが、やはりモンサント社(現在はドイツのバイエル)という絶好のターゲットが存在したからだと想像します。
世界では、いまも157カ国が承認
一方、反対派のネット言論を見ていると、世界中でグリホサートの使用が禁止の方向に向かっているように聞こえますが、そんな事実はありません。農と食に関する情報の真偽を検証するサイト「AGRI FACT」が調べた結果によると、2020年10月時点で157カ国がグリホサートの使用を承認しています。EU(欧州連合)が承認している中で一小国のルクセンブルグは確かに禁止していますが、フランスやドイツでも禁止している事実はありません。今年6月からベトナムが全面禁止にしたという情報は聞いていますが、農地での使用を全面禁止した国はほとんどないというのが事実です。詳しくはアグリファクトのサイトをぜひ見てほしいです。https://agrifact.jp/gurihosato-list-of-approved-countries/
もう一つ、記事で気になるのは、米国での訴訟の紹介の仕方です。「カリフォルニアで末期がんを患うドゥウエイン・ジョンソンさんは、ラウンドアップ被害者だ。彼は、学校の校庭整備の仕事に就き、ラウンドアップを数十回散布したことが原因でがんになったとモンサント社を訴え、2018年に2億9000万ドルの賠償金が支払われた。…裁判ではラウンドアップが末期がんの「実質的」な原因だと結論付けられたことで世界中から注目された」。
この訴訟の顛末も検証サイト「AGRI FACT」に詳しいのですが、覚えておきたいのは、裁判所はがんの原因をめぐって科学的な審議を十分にしていないことです。世界中の公的機関がリスク評価をして「発がん性なし」と判断した事実を、裁判所の陪審員(市民)がそうやすやすと覆せるわけがありません。裁判では注意義務を怠ったモンサント社の非がとがめられ、モンサント社が負けたわけですが、裁判所ががんの原因をラウンドアップだと認定したわけではありません。おそらく原告側の弁護士の手法がすぐれていたのでしょう。
ジョンソンさんのがん(悪性リンパ腫の一種の非ホジキンリンパ腫)は悲しいことですが、数十回の散布でがんになったという主張は、あくまで個人的な体験話であり、科学的な証拠にはなりません。
この論法でいけば、同じグループ2Aのポテトフライやステーキを長年食べていた人が「がんになったのは、ポテトフライやステーキのせいだ」と訴訟を起こしたら、勝訴することになります。ポテトフライやステーキを食べている人は世界中に少なくとも数億人はいるでしょうから、その中から、がんになる人がたくさん発生しても、少しも不思議ではありません。
農薬や遺伝子組み換え作物に関して、食の安全を気にする気持ちは大事にしたいですが、少し冷静になって考えれば、それほど心配する必要がないことが分かるはずです。一青妙さんの、食の安全を守りたい気持ちはよく分かりますが、相手の言い分の裏付けがどこまで十分かを、もう少しチェックして書いてほしいと思います。
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