第52回 ウラ取りなき個人の感想文が、ヤフーの記事として配信される時代の怖さ

こんにちは、小島正美です。メディア報道のおかしな点をファクトチェックする意義が高いことは何度も述べてきましたが、難しいのは、一市民が書いた記事です。その好例を見つけました。山田正彦氏(元国会議員、旧民主党政権で農林水産大臣を経験)がプロデューサーを務めたドキュメンタリー映画「食の安全を守る人々」(103分)が完成し、全国で上映が始まっています。登場人物のほとんどは遺伝子組み換え作物や農薬のグリホサート、種苗法改正などに反対していた人たちなので、一種のプロパガンダ映画です。反対する人たちがどんな映画をつくろうと自由なのですが、気になったのは、ヤフーニュースに載った、その映画を称賛する記事です。

記事の筆者は、女優で作家、歯科医師の一青妙(ひとと・たえ)さんです。台湾人の父と日本人の母の間に生まれたエッセイストです。彼女の妹は、歌手で知られる一青窈さんです。一青妙さんが書いた記事がヤフーニュースで流れたため、読んでみたところ、プロパガンダ映画にそっくり心酔した記述にいくつか出くわしました。

「個人的な体験」の信頼度は低い

たとえば、映画に登場して、遺伝子組み換え作物の危険性を訴える米国のゼン・ハニーカットさん(来日して全国を講演したこともあります)について、こう書いています。

「ハニーカットさんは3人の子供を持つ母親で、グリホサートを使用した除草剤や遺伝子組み換え作物に反対している。彼女の子供たちは、ひどい湿疹やアレルギーに悩み、自閉症と診断された。食べていた遺伝子組み換え食品に含まれていたグリホサートが原因だとわかり、有機食品に切り替えたところ、症状は改善された。この経験をもとに、彼女は声を上げ、全米で遺伝子組み換え食品から子供を守る運動を展開している最中だ」

いまどきサプリメントの広告でも、仮に効果があったという人がいても、「これはあくまで個人の体験であり、感想です」という打ち消し表示が必ず表示されています。ある食品を摂取したあとに、効果があったにせよ、なかったにせよ、個人的な体験は全く当てにならず、
情報の信頼度は一番低いことは常識かと思っていました。
ところが、歯科医師の資格をもつ作家のような人でも、個人の体験を信じて、それを拡散する記事まで書いていることに驚きを禁じ得ません。

具体的に気になる点ですが、まず、自閉症は有機食品で改善されるのでしょうか。私も仕事柄、自閉症の原因や治療に関する本もよく読みます。医学的な観点で書かれた本を読んでいて、「有機食品に切り替えたら、自閉症の症状が改善された」という記述を見たことはありません。もちろん、腸の機能やミネラルなどを重視する分子栄養学的なアプローチで自閉症の治療にあたる医師が少数ながらいることは知っていますが、そういう医師でさえ「有機食品を食べたら改善されます」と単純に言っているケースに出会ったことはありません。
食べ物を替えたくらいで自閉症が改善されるなら、医師はいりません。このエッセイストが自閉症をあまりにも軽くみているのが気になります。

遺伝子組み換え作物の大半は、家畜の飼料

次に気になるのは、「食べていた遺伝子組み換え食品に含まれていたグリホサートが原因だとわかり・・」という部分です。そもそも遺伝子組み換え作物の大半は、米国でも日本でも家畜の飼料や食用油に使われており、一般の消費者が食べるケースはほとんどありません。米国人がよく食べている組み換え食品といえば、コーンスナックくらいではないでしょうか。

百歩譲って、仮に組み換え作物の生産量の上昇カーブと自閉症の増加カーブに相関関係があった(事実、そういう論文があります)としても、組み換え作物と自閉症の関係を証明したことにはなりません。組み換え作物を食べているのは家畜だからです。
このことは日本にもあてはまります。日本の市場で流通している食品(豆腐や納豆、豆乳、コーンスナックなど)はすべて非組み換え作物なので、組み換えDNAが含まれている食品を食べている事実はありません。市販されている食用油のほとんどは組み換えナタネやトウモロコシが原料ですが、油には組み換えDNAが含まれていないので、日本人が摂取している組み換え作物はほぼゼロといっても間違いありません。

ところが、数年前、組み換え作物に反対している男性が私に「うちの娘は組み換え食品を食べて自閉症になった」と言ったのです。絶対にありえません。日本人は組み換え食品を食べていないからです。
米国でも豆腐の大半は、非組み換え大豆が使われています。つまり、ゼン・ハニーカットさんが毎日のように組み換え食品を食べていたとは到底思えません。米国でもスーパーに行って、組み換え食品を探すのは難しいからです。米国人が毎日、どれくらいの組み換え食品(もちろん、組み換え飼料を食べた牛の牛乳には組み換えDNAは含まれておらず、組み換え食品とは呼びません)を食べているかを調査してほしいものです。

裏付けは乏しいが、人の心を動かす

どちらにせよ、ゼン・ハニーカットさんの単なる個人的な体験がきっかけで、ここまで反対運動が広がったという事実に驚くばかりです。行動経済学や社会心理学に関する本を読むと、よく「人の心(感情)は統計数字よりも特異的な出来事に動かされる」という話が出てきます。反対運動の広がりはまさにそれです。

どうやら、統計数字や科学的なデータよりも、情熱的に語られる個人の体験のほうが人の注意を惹きつけるようです。おそらく、これは人間が生き延びるために進化の中で身に着けた普遍的な行動法則なのでしょう。

この映画に出てくる談話はほぼ個人の意見や体験であり、客観的な裏付けは乏しいのですが、それでも、人の心を動かす力をもっています。SNSの普及でいろいろな情報がフラットになり、情報の平等化が進んでいます。科学的に信頼できる情報も、今回のような個人の感想文のような情報(記事)も、平等(フラット)に配信されるのがヤフー記事の特徴だとつくづく感じます。やはり情報を批判的に読み解く学習が必要ですね。次回も、一青妙さんの記事を読み解きます。