第10回 人々を怖がらせる情報伝達のテクニック④
「発がん性物質だ」の叫びに屈しないためのメディア・リテラシー

 こんにちは。小島正美です。きょうはいよいよ「怖がらせるテクニック」の最終講座となります。テーマは「発がん性」で脅すテクニックです。意外な結末が待っていますから、最後まで読んでくださいね。

ママ美  もう4回目ですか。「発がん性物質」と聞けば、誰でも恐怖を感じます。どうやって脅すのか興味津々です。

正美 人々に不安を抱かせるには、狙った化学物質を「発がん性物質だ」と叫ぶのが基本的な方法です。

国際がん研究機関(IARC)の分類を巧みに利用

ママ美 むむむ、そうきましたか。でも、ただ叫んでも、科学者の集団が全く無視するような化学物質では、効果は低いのではないでしょうか。

正美  そのとおりです。ですから、科学者集団のお墨付きを巧みに利用するのです。ご存知だと思いますが、世界保健機関(WHO)の専門機関のひとつに「国際がん研究機関」(IARC)があります。IARCさんには申し訳ありませんが、この機関が公表している「がんのグループ部類」を脅す武器として活用するのです。

ママ美 へえー。そんなことができるの?

正美  それができるんです。実際に活用されている事例を挙げましょう。世界中で使われている除草剤のグリホサートです。この農薬は「グループ2A」に分類されています。グループ2Aは「おそらく(プロバブリー)発がん性あり」ですから、この農薬が危ないことを訴えるには、「国際がん研究機関が発がん性物質と指定した」と言って騒げばよいわけです。

ママ美  国際機関が「プロバブリー発がん性物質」なんて認定していれば、危ない物質に聞こえて当然ではありませんか。私も信じちゃいます。

正美  肝心な問題はここからです。
 それを解説する前に、グループ分類の全体にちょっと触れておきましょうか。分類はグループ1(発がん性あり)、グループ2A(おそらく発がん性あり)、グループ2B(発がん性の可能性あり)、グループ3(分類できず)、グループ4(発がん性なし)の5つのランクがあります。グループ1からグループ2Bまでは、どれも「発がん性物質だ」と言えば、全く間違いというわけではないので、週刊誌はこれを一括りにして「発がん性物質だ」と書くわけです。

IARCの分類は、健康リスクの大きさとは無関係

ママ美 確かに「発がん性」と聞くだけで、心がぐらっときますね。

正美  しかも、グループ2Aの危なさを、週刊誌や無知な記者は「危険度が2番目に高い」と言って脅すわけです。しかし、これが大間違いなのです。この分類は、現実の生活の中で、健康に危害をもたらすかどうかのリスクの大きさの順番ではないのです

ママ美  え!そうなんですか。じゃあ、何の順番なんですか。

正美  「証拠の強さ」の順番なんです。誤解を恐れずに言えば、たとえば2Aなら「過剰に摂取すれば、がんになる証拠がそこそこ、そろっているんですよ」という程度の意味です。
 グループ2Aには、フライドポテトなどに含まれるアクリルアミド、65度以上の湯、紫外線、豚肉や牛肉(レッドミートという。鶏肉はホワイトミートで別)、職業としては、シフト勤務、美容・理容の従事なども分類されています。つまり、除草剤のグリホサートは65度以上の熱い湯や豚肉と同じ仲間に分類されているのです。

ママ美  そんなバカな。豚肉とグリホサートが同じ仲間とは信じられないです。

正美 本当です。豚肉だって、毎日過剰に食べれ続ければ、がんにかかるリスクが高くなりますね。ポテトフライだって、毎日たくさん食べ続ければ、がんのリスクは高くなります。

ママ美 そんなの当たり前でしょ。毎日たくさん食べ続ければ、塩だって、脂肪だって健康に悪いことくらいは素人の私でも分かります。

正美  ポイントはまさにそこなんです。「発がん性あり」のグループ1を見ると、もっとびっくりしますよ。グループ1には、ダイオキシン、ヒ素、放射線、喫煙などがありますが、そのほかに、お酒(アルコール)、ハム・ソーセージなどの加工肉、太陽光、胃がんの原因となるピロリ菌、家具の製造環境などが入っています。ダイオキシン、ハム・ソーセージ、お酒が同じ仲間なのです。つまりは、どのケースでも体内に摂り過ぎないように気をつければよいだけのことです。

ママ美  グループ1は強い発がん性があり、たとえばグループ2Aと比べた場合に、より少量でがんになるようなイメージでした。このイメージは、まちがっているということですね?

正美  まちがっています。繰り返しになりますが、グループ1のほうが、グループ2Aより発がん性の証拠がそろっているというだけです。ですから、たとえば「お酒」はグループ1だから、グループ2Aの「アクリルアミド」より少しの量でがんになる、と考えるのはまちがっているのです。

 それに、「グリホサート(除草剤)は発がん性物質だ」と勇んで書く週刊誌の記者たちが、校了後に居酒屋へ行って、発がん性物質のビールや焼酎を飲み、これまた発がん性物質のハム・ソーセージを食べながら、カンパーイとやってる姿を思い浮かべれば、いかに「グリホサートの発がん性物質」というものが色あせてみえるかが分かるはずです。

ママ美  でも、国際機関が公表していることを根拠にしているのですから、記事も信用されやすいでしょうね。

正美  分類にも学術的な意味はあるでしょう。しかし、現実には、人を脅す武器のような手段になっている面もあるのです。この分類は、現実に起きている健康リスクとは関係がないものだと思ったほうがよいです。ついでに言えば、グリホサートを発がん性のグループ2Aにしているのは国際がん研究機関(IARC)だけで、あの農薬に厳しい欧州連合も含め、世界中の公的機関は「発がん性なし」としています。国際がん研究機関の決定過程に政治的な要素が入り込むこともあるわけです。

 こういうことを言うのは私だけではありませんよ。名著「まどわされない思考」の著者のデヴィッド・ロバート・グライムス氏は、このグループ分類について「科学を大衆にもたらす者として、人々を混乱させることが分かりきっている分類を発表する愚かさには憤りを覚えてしまう」と書いています。分類は役に立たず、愚かな行為だというわけです。

ママ美 聞いていると、発がん性ありのグループ1やグループ2A、2Bは、水戸黄門の印籠のようなものに見えますね。

正美 とってもよいたとえですね。これこそ諸刃の剣です。「これはグループ2Aの発がん性物質だ。5段階のうち危険度が2番目に高い」といって、国際機関の印籠を堂々と見せて脅すことができる一方、ちょっと知識があれば、「それって、現実のリスクとは無関係な話ですよね」と冷静に構えて聞き流すことも可能なわけです。

ママ美 脅すためにも、また脅されないためにも、思考する力、国語力が必要だと分かりました。

IARCが、金の卵を産むガチョウに

正美  最初に「意外な結末が待っています」と言いましたが、恐るべき悲劇の話をしましょう。
 グリホサートをめぐっては米国で訴訟が起きています。グリホサートを使っていて、がんになったという人たちが集団で訴訟を起こしているのです。その数は10万人を超えます。テレビCMをがんがん流し、訴訟に加わる原告を募集するなど、訴訟でひともうけしよう(と私は見ています)ともくろむ弁護士の手腕は見事ですね。
 つい最近の6月24日、ドイツの医薬品大手バイエル社(グリホサートを製造・販売していた米国モンサント社を2018年に買収)は最大109億ドル(1兆1600億円)を支払って和解すると発表しました。これで10万件以上の訴訟(別の農薬やPCB水訴訟も含まれる)が終結するといわれていますが、まだ完全には終わっていません。

ママ美 ええ、1兆円も! 旧モンサント1社だけなら倒産しそうな額ですね。

正美 本当にすごい額ですね。私の推測では「訴訟は科学的な論争だけで終わりそうになく、このままだと社会的に悪いイメージが増大していく。不条理でも、いま巨額なお金を払って手を打ったほうが得策だ」との判断が働いたのではと思います。こうした動きを見ていると、市民や弁護士のほうが巨大企業よりもパワーがありますね。権力を持っているはずの政府も「為す術なし」ですからね。

 その一方、グリホサートをめぐっては、米国カリフォルニア州は州法によって、発がん性の警告表示をするよう義務づけていましたが、6月22日、米国の控訴裁判所は「発がん性なし」との判断を下し、警告表示を禁止するよう命じました。これはこれで画期的な判決ですが、残念ながら、日本の新聞はこれだけの事件なのにほとんど報じていません。

 一連の動きを見ているとバイエル社は1兆円を払う根拠はないと個人的には思いますが、あんな巨大企業でも一部弁護士と市民運動のスクラムに根負けしてしまうわけですね。ドイツの企業だから、きっと心がやさしいのでしょう。

 ママ美 科学者と市民と企業と政治のパワーバランスって、ダイナミックですね。

 正美 活劇としては興味深いストーリーですが、すべての元凶(悪く言えば、諸悪の根源)は、2015年にIARCがグリホサートをグループ2Aにしたことが発端になっています。当時、この分類に対して、嗅覚鋭い米国の弁護士たちは「IARCさん、ありがとう。これでひともうけできます」と踊り上がったに違いありません。IARCは金の卵を産むガチョウになったのです。

 実は、2015年には別の2種類(マラチオンとダイアジノン)の農薬もグループ2Aに分類されたのですが、こちらは見向きもされていません。イメージの悪い旧モンサント社が餌食にされたわけです。バイエル社の1兆円の和解は、純粋(と思いたい)な科学的研究が訴訟ビジネスに悪用された例として歴史に残るでしょう。

ママ美   科学が科学だけで完結する時代ではなくなってきた感じがしますね。
・・・と話しているうちに、あっという間に10分がたちました。なんか白熱教室のような展開になりましたね。

正美  ありがとうございます。これで4回の講座は終わりますが、まだまだメディア・リテラシーの話は続きますよ。

きょうのレッスンは、この4回シリーズのまとめをしておきましょう。
だれかを脅すため、もしくは脅されないための10カ条を以下に記しておきます。

  • 危険大好き学者を見つけて味方にし、危険だと主張する異端的な論文を活用する。
  • 危ない化学物質の危険性は、「出た」か「出ない」かで煽る。
  • 危ない化学物質は「毒」と呼ぶ。
  • 因果関係が分からないときは「取り沙汰されている」と書く。
  • 微量でも「可能性は否定できない」や「危険性がゼロとはいえない」と言う。
  • 微量でも「蓄積する」「複合作用がある」と言えば、脅せる。
  • 微量でも危険を言いたいときは、子供や妊婦を持ち出す。
  • 理由はあいまいでも、孫の代まで影響すると自信ありげに言う。
  • 科学を装った話をするときは反論封じに「これは私の哲学・信念です」と言おう。
  • 国際がん研究機関のグループ分類を脅しの武器として活用する。