第51回 ゲノム編集トマトに関する 朝日新聞の ”ざんねんな誤報”

こんにちは、小島正美です。筑波大学発のベンチャー企業「サナテックシード」 (東京)が5月から無料でゲノム編集トマト「シシリアンルー ジュハイギャバ」の苗を配布しました。ちょうど今ごろ、5000人のモニターのベランダや畑で1~2センチの実をつけていることでしょう。私の家でも順調に育っています。このゲノム編集トマトに関する新聞報道で「ざんねんな出来事」を見つけました。

今年4月24日と30日に掲載された、朝日新聞の記事です。どちらの記事も同じ記者が書いたもので内容は同じです。

まず24日付けの夕刊紙面(関東地方)に載り、そのあと30日付けで茨城ローカル版に載りました。記事自体は不安をあおるものではなく、4月23日に筑波大学とサナテックシードがつくば市で行った記者説明会に基づく穏当な内容です。

では、何がざんねんな出来事だったのか?

読者のみなさんと一緒に考えてもらうため、以下に記事の一部を引用します。
「・・・(今度のゲノム編集トマトは)昨年12月、ゲノム編集食品の国の届け出制度で第1号になった。その後、苗の無料栽培モニターを募ったところ、5千人超の申し込みがあったという。苗の配布と並行して、夏ごろから家庭菜園向けに苗の販売に乗り出す。当初、一般の農家向けにGABAトマトの種子を販売するとしていたが方針を転換。不測の交雑が起きないよう、契約農家のみに苗を提供したうえで、果実を買い取り、ピューレなどの加工食品として販売することにしたという」
この内容を読んで、おかしな点が分かりますか。

「苗を一般向けに販売する」は誤報

さっと読んだだけでは分からないかもしれません。以下で、説明しましょう。

サナテックシード社は苗を無料で5000人に配布しました。それがビッグニュースだとこのブログ第26回の記事でも紹介しました(https://foodnews.online/2020/12/13/post-300/)

朝日新聞の記事で間違っているのは「苗の配布と並行して、夏ごろから家庭菜園向けに苗の販売に乗り出す」と書いている部分です。

23日の説明会で、サナテックシード側が「夏ごろから、家庭菜園向けに苗を販売する」と説明した事実はありません。仮に一般向けに苗を販売するなら、それだけでビッグニュースの資格は十分あります。もし記事の通りなら、そろそろ地域のホームセンターにゲノム編集トマトの苗が並んでもおかしくないですが、もちろん、そんな事実はありません。誤報だからです。

おそらく記者は勘違いしたのでしょう。私が特に不思議だったのは、1週間後の4月30日にも同じ内容の記事が別の地域(一部の地域はだぶって掲載)の紙面で載り、今度は「夏ごろから家庭菜園向けにインターネットで苗の販売に乗り出す」と書いています。「インターネットで」という言葉が新たに加わっていますので、記者は間違いなく、一般向けにも苗を販売すると思い込んでいたことが分かります。

念のため、サナテックシードに確認したら、一般向けに苗を販売することはないと言っています。将来的にはゲノム編集トマトの苗をホームセンターで売れば、けっこう人気が出ると予想していますが、現時点では一般向け販売はありません。

本当に不可思議なのは、だれも間違いを指摘していないことです。筑波大学やサナテックシードの関係者なら、誤りに気づくはずなので、だれかがその時点で朝日新聞に通報していれば、30日に同じ誤りの記事は載らなかったはずでしょう。なお、記事は今も、ネット版でそのまま公開されています。
苗を一般向けに販売する、と報じたのは朝日新聞だけなので、事情通は「ああ、朝日が間違っているなあ」で済ませたかもしれません。ただそれにしても、大事な事実関係が間違っていたのに、さらにもう一度、同じ誤り記事が掲載され、今もネット版で掲載されたままなんて、記事への反響がなかったのであろうことが推測され、新聞の影響力がなくなってきているのではと思われて、私には「ざんねんな出来事」に見えました。

記事への反響があって、訂正が載るほうがまだ救われます。反響もないようでは、さびしい限りです。

「不測の交雑が起きないよう契約農家のみに販売」も間違い

2つ目は、「不測の交雑が起きないよう、契約農家のみに苗を提供したうえで果実を買い取り、ピューレなどの加工食品として売り出すことも予定」の部分です。記事の前半で「一般向けに苗を販売」と書いておきながら、後半では「契約農家のみに苗を提供する」と書いています。一般向けにも苗を販売するなら、契約農家のみに苗を販売することが意味をなさなくなるはずですが、記者とこの記事を通したデスクはその矛盾に気づいていないのでしょうか。

さらなる重大な間違いは、契約農家のみに苗を提供するのは、不測の交雑が起きないようにするため、ではない点です。もちろん、サナテックシードは「不測の交雑が起きないようにするため」といった説明をしていません。もし不測の交雑が起きるなら、一般向けに苗を販売できるはずがありません。その矛盾にも記者は全く気付いていないようです。

記者は「不測の交雑が予想される」との問題意識をもって書いているわけですから、そうならば「一般向けに苗を販売するのは交雑が予想され、問題だと思いますが、どうでしょうか」と尋ねてもよいはずですが、そういう質問もしていないようです。
ゲノム編集トマトを家庭菜園やベランダで栽培したところで、交雑は起きません。もし起きるなら、すでにいろんな品種のトマトがあちこちで栽培されていますから、とっくにいろいろなトマトの交雑で珍しいトマトがたくさん出現しているはずです。

この朝日の記者は心のどこかに「交雑する恐れがあるのでは」という問題意識をもっていることが推測されます。交雑のリスクはないと思っていたら、そういう表現は出てこないからです。そういう観点で見ると、不測の交雑が起きるかのような記述は大きな誤解を与える内容だともいえます。

そして、事実関係の誤りも、「不測の交雑」という記述の誤りも、話題にならなかったという点で、新聞の影響力の低下ぶりを見た思いがします。新聞の世界で長く生きてきた筆者としては、本当に「ざんねん」な気持ちです。