第4回
「客観的な安全」よりも「主観的な安心感」が社会を動かす
メディア・リテラシーを身に着ける

2020年5月14日

 こんにちは、小島正美です。皆さんは、食品添加物や化学物質、ワクチンなどについて、どのような印象をお持ちでしょうか。とても不安に思う方も、あまり気にならない方もいらっしゃると思います。私は今まで40年以上、記者として、食品や健康についての情報の伝え方、伝わり方を見てきました。いま改めて痛感するのは、人々の主観的な「安心感(あるいは不安感)」が、社会を動かす大きな力を持っているということです。

重要なのは「基準値」ではなく、「許容摂取量」

 たとえば、築地市場の豊洲移転問題を思い出してください。発がん性のベンゼンやヒ素が少しでも検出されると、新聞もテレビも大騒ぎでした。
 科学的には、ベンゼンやヒ素が地下水の環境基準を少し超えて検出されたくらいでは、食の安全への影響は全くありません。しかし、社会的にはそれらの物質に対する不安が広がっていました。当時の知事の不安をあおるような言い方が都民の気持ちをつかんだとも言えます。

 つまり、ベンゼンやヒ素が環境基準を少し超えて検出すること=とても危険なこというような図式が、実際の食の安全への影響いかんにかかわらず、社会のなかにあったのです。この図式は、いまもありますね。

 農薬の残留基準値にも言えますが、基準値を超えること自体は、何か対策を取る必要がありますよ、という目安に過ぎません。健康への影響があるかどうかは、基準値を超えたかどうかで見るのではなく、1日許容摂取量(ADI)を超えたかどうかで判断します。

 たとえるなら、基準値は道路を走る車の制限速度と同じです。時速60キロ制限の道路で70キロを出しても、危なさは高まりますが、運転者は平気です。運転者が何かに衝突して身体に衝撃を受けたときに、初めて健康被害が生じますね。その衝撃量が1日許容摂取量にあたります。しかしこの点が、きちんと報道されないことが多いのです。
 逆に、パンからごくごく微量の農薬が見つかったといって大騒ぎするメディア(一部週刊誌)があります。これも1日許容摂取量と比べると、はるかに少ない量で、気にするようなレベルではないことがほとんどです。

メディアは「不安」に寄り添う

 メディアは往々にして、ベンゼンやヒ素の検出で大騒ぎしたように、人々の気持ちや不安感に寄り添った報道をします。良く言えば、社会のニーズに応えた報道と言えるでしょう。悪く言えば、大衆迎合ですね。

 つまり、多数の専門家が「安全」と主張しても、多数の人々が「不安」だと思えば、そして、その不安の声が大きければ、行政や企業はそれに合わせた対応を取らざるを得ません

 客観的な「安全」よりも主観的な「不安感」のほうが世の中を動かすわけです。

 このブログの第2回でお話した「無添加」をうたう商品が後を絶たないのも、まさにそういう例です。

 食品添加物は、国の審査を受け、食品に含まれていても健康への影響はありません。それなのに、企業はわざわざ「添加していません」と表示しようとする。食品企業が、消費者に安心してもらいたいという思いを重視している表れと言えるでしょう。

 このように、「科学的に安全かどうか」よりも、「人々が、安全と思うかどうか」という主観的な感情のほうが、社会を動かす大きな力となっています。今の社会では科学者よりも市民のほうが強いわけです。政治でも選挙でも市場の買い物でも、決定権をもっているのは市民だからです。

科学的な「安全」と、人の感情である「安心」は全く別のもの

  では、人はどういう時に安心するのでしょうか。

 「そんなの『安全であれば、安心する』に決まっているじゃないか」と思われるかもしれません。しかし、科学的に「安全である」ことと、人々が「安心するか」は、全く別のものなのです。

 「安全」と「安心」の関係は、以下の4つに分類されます。

 1「安全なので安心だ」

 2「安全だけど、安心できない」

 3「安全ではないけれど、安心だ」

 4「安全ではないので、安心できない」

 1の「安全なので、安心だ」と4の「安全ではないので(危険なので)、安心できない」は、少し考えれば当たり前の論理ですね。

科学的に「安全」でも「安心できない」ケース

  おもしろいのは、2の「安全だけど、安心できない」です。つまり、「科学的には安全だと言われるが、私(私たち)は安心できない」というケースです。

 ■ごく微量の農薬 

 たとえば、パンからごく微量の農薬が検出されても、人がパンを通じて摂取する農薬量が1日許容摂取量よりもはるかに少ないときは安全だ、と言えるのですが、「それでも安心できない。不安だ」という人はけっこういますね。

 ■遺伝子組み換え作物

 遺伝子組み換え作物も、すでに20年以上世界中で食べられていて、もちろん安全性の審査も通っているのですが、それでも不安だと言う人はたくさんいます。

 ■HPVワクチン

 子宮頸がんを予防するHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンも、学者の間では、圧倒的に有用性と安全性が合意されていますが、接種後に副作用が出たとする被害者の人たちの声がメディアで大きく報じられたせいもあって、不安だという人はかなりいます。

 どんな科学の分野でも、多数派と少数派の学者がいます。安全かどうかを議論することはとてもよいことだと思いますが、その論争を聞いている人は、たいていの場合、自分の考えや価値観に近い学者を信頼します自分とは違う相手陣営の学者がいくら科学的な事実を述べても、頑として信じないことがよくあります。「御用学者の言うことなんか信用するもんか!」という言い方はこの例です。

 「科学的には安全でも、安心できない」と言う構図はなかなか解消されにくい要素をもっていることがわかりますね。

「安全ではないのに、安心」もある

 次に3の「安全ではないけれど、安心だ」は、興味深いパターンです。

 通常なら、安全ではないわけですから、危ないと思うはずです。ところが、たとえば、たばこを吸う人は、喫煙ががんの死亡率を上げることは分かっているのに、あまり怖がってはいないようです。原因(喫煙)と結果(がん)が分かっています。また、たばこには得体の知れない未知の不安要素はありません。

 悪影響が出るのは数十年も先のことなので、危険でも差し迫った不安を感じないという点もあるでしょうね。危ない状況でも「自分だけは大丈夫だろう」とか「病気になったらその時はその時だ」といった思考のくせもあるでしょう。

 つまり、たばこをやめるほどの不安を感じていないわけです。このように、人は危険だから必ず不安になるというわけではありません。

 最後に、不安感をもつことは将来のリスクに対する備えにもなるので、一概に不安感をもつことが悪いということではありません。洪水や地震に備えて、家を被害から守ろうとするのは良い意味の不安感です。

 では、どうしたら、たくさんある情報の中から確かな情報を選び、どのニュースまたは情報なら信頼できるかについて、またの機会でお話ししましょう。

 今回のレッスンは、「安全でも、安心できない」と言う市民感情が世の中を動かしているということです。もうひとつ、あるものが基準値を超えたからといって健康に悪影響があるという意味ではないこと、つまり、健康への影響は基準値ではなく、1日許容摂取量で判断することも覚えておきましょう。