第62回 自閉症の増加は、本当に農薬が関係しているのだろうか

こんにちは、小島正美です。農薬と発達障害の関係を疑う主張がネットを中心にけっこう見られます。最近、桐村里紗医師(内科医・産業認定医)が著した「腸と森の『土』を育てる」(光文社新書)を読んでいて、目を疑う文章に出くわしました。

「マサチューセッツ工科大学のステファニー・セネフ博士は、2015年の時点で『2025年には、グリホサートの使用により、50%の子どもが自閉症になる可能性がある』と警告しています」。

セネフ博士(女性)はコンピュータサイエンスの専門家で、農薬や発達障害の専門家ではありません。しかし、いまなおグリホサート(除草剤)をはじめとする農薬が様々な疾患(統合失調症、腎臓病、睡眠障害など)と関係しているとの持論を説いて回っています。もちろん、自由民主主義の世界ですから、どんな意見を主張してもよいでしょうが、「2025年に米国の子どもの50%が自閉症になる」という主張をたやすく信じて、自分の本にまで引用することに対して、慎重さが足りないことに驚きを禁じ得ません。いくら自閉症(現在の正式名は「自閉スペクトラム症」です)が増えているとはいえ、農薬にかかわる文脈の中で「半分の子どもが自閉症になる」ことはありえません。

こういう言説に対して、何か適切なカウンター情報(反証情報)はないものかと考えていたところ、自閉症の増加と農薬の関係やセネフ博士の主張に対する反証となると思われる事例を二つ見つけました。今回はそれを紹介しましょう。

グリホサートと発達障害の関係にエビデンスなし

ひとつ目は、英国の大学で経済学を教える学者とサイエンスライターが著した「ニュースの数字をどう読むか」(ちくま新書・北沢京子訳)という本です。この本の副題に「統計にだまされないための22章」とあるように、ニュースにだまされないためのメディアリテラシーが学べる好著です。

その中に、グリホサートと自閉症に関する興味深い考察が出ています。著者たちによると、これまで自閉症の原因に関するニュースでは、重金属による汚染、除草剤、電磁波、グルテン、カゼイン、ワクチンなどさまざまな要因が報じられてきたが、どれも説明がつかないと言います。そして、結論として「グリホサートが発達障害と何らかの関連があるというエビデンスはありません」と書いています。

なぜそう言えるのでしょうか。簡単に言うと、自閉症の診断基準がたびたび変わり、適用範囲が拡大して、より多くの人が自閉症と診断されてきたからです。と同時に社会的な認知度が上がったことも増加の背景にあります。たとえば、親や教師たちの関心が高くなると、少しでもおかしな行動を示す子どもがいると、スクリーニング検査を受けさせる傾向が強くなっています。検査を受ければ、診断基準に該当する子どもが増えることが予想されます。医学の進歩が患者を生み出すメカニズムといってもよいでしょう。

自閉症の増加の要因について、著者たちは「自閉症が増えているように見えるのは、医学の権威者が測定基準を変え、自閉症かもしれない状態を見逃さないよう、いっそう気を付けるようになったという事実によるのかもしれません」と述べています。

約50年間で100倍に増加

では、過去約50年間でどの程度増えたのでしょうか。自閉症は1970年代までは1万人当たり2~5人の割合(0.02~0.05%)でしたが、1990年代になると、1万人当たり10人くらい(0.1%)に増えました。そして、2010年代になると1万人当たり約150~200人(約1.5~2%)に増加しています(「ニュースの数字をどう読むか」や「自閉スペクトラム症」(岡田尊司著・幻冬舎)など参照)。

大雑把な表現ですが、過去約50年間で自閉症は約40倍~100倍も増えたことになります。この間、食品を介した農薬の摂取量や空中を介した吸入量が100倍近くも増えたとは到底思えません。

診断基準の変遷に関する詳しい解説は省きますが、発達障害の治療で知られる小児科医師の榊原洋一氏は「子どもの発達障害 誤診の危機」(ポプラ新書)で「近年の自閉症の急激な増加は、胎内環境の変化ではなく、診断基準や自閉症のスクリーニング体制の変化によるところが大きい」と述べ、「2割は誤診では」と言っています。私は毎日新聞の記者時代に何度も自閉症の治療に関する取材をしていますが、榊原氏はその道の第一人者です。

そういう最前線の医師たちが社会的な認知度の上昇と診断基準の拡充が自閉症を増加させたと言っている意味や背景をもっと記者たちは伝えるべきでしょう。

セネフ博士の論文は科学的根拠に乏しい

もうひとつの事例は、農薬のリスクに関する誤解を解くためのファクトチェックサイトである「AGRI FACT(アグリファクト)」です。そのサイトでは「グリホサートと自閉症に関する科学的証拠はない」との見解が掲載されていますが、それに反論する形で、木村-黒田純子氏(東京都医学総合研究所研究員)と黒田洋一郎氏(元東京都医学総合研究所研究員)の2人がセネフ氏の主張に触れています(「環境脳神経科学情報センター」のウエブサイト)。

私から見ると、2人はセネフ氏の主張に近い考えをもっていると思われますが、その2人が「セネフ氏のグリホサートの毒性に関する論文は、どれもグリホサート使用量と健康障害との相関関係を示しただけで、科学的根拠に乏しいため、拙稿では一切引用していない」(同ウエブサイト)と述べているのです。この点に限れば、私も同じ意見で、セネフ博士は都合よく相関関係を導き出したに過ぎません。

農薬と自閉症の関係については、新しい論文に基づき、国の食品安全委員会や農水省、厚生労働省でしっかりと議論してもらいたいと思いますが、少なくともセネフ博士の主張が科学的根拠に乏しいと分かっただけでも大きな意味があります。

一時はダイオキシンも要因のひとつだった

発達障害の原因については、さらに深い研究を望みたいですが、現状では、医学的な世界から見ると、自閉症に関しては、国が特定の農薬を禁止するほどのエビデンスはないというのが大筋の見方ではないでしょうか。

不思議な現象ですが、そもそも自閉スペクトラム症の割合は、男性が女性よりも4~5倍も多い。胎児が子宮の中にいるとき、高濃度のテストステロン(男性ホルモン)にさらされたケースで出生後に自閉症の症状が強く出やすいという報告さえあります。真の実像がよく見えない疾患や障害をめぐっては、いつの世も、いろいろな要因を指摘する声があちこちから出てきます。1990年代はダイオキシンが自閉症の一因とも言われ、最近は腸内細菌フローラの乱れが自閉症の原因だとする考えも流行っているようです。もう少し冷静になりたいものです。